1.なぜお地蔵様?
Kiyoの「ふうせん地蔵さん」のモデルは、Kiyoのすぐ近くにもあるお地蔵様です。
これは実は「蔵王新四国八十八カ所霊場(こんな、お地蔵様巡りをされる方もおられるんですね)」のお地蔵様の一つ。
「風船」はKiyoのイメージアイテムでお地蔵さまとは関係ありませんが、お願いして一緒に写真に写っていただきました。
お地蔵さまは、赤ちゃん、子どもの守護神とも言われていますので、ふうせんを手にして子供をあやして頂くようなお姿にさせて頂いた次第。
なお、お地蔵さまの中には、手を合わせてはいけないケースもあり、例えば、商売繁盛とかのお祈りで手を合わせてはいけない、とも言われていますので、あくまでも、お子様や皆様の無病息災をお祈りして頂くのが目的です。
また、悪霊を地場に引き寄せる目的や、特定の人のためのお地蔵様にも手を合わせてはいけない、とされているようですが、こちらの蔵王のお地蔵さまは四国巡礼の代わりの霊場として作られた歴史がありますので、手を合わせても大丈夫かと思います。
今度、機会があれば、念のために医王寺の住職様に確認しておこうと思いつつ…私は既に何度も手を合わせて拝んでます。( ´∀` )
なお、「マスコットキャラクター」等という言い方も商売ぽくなってお地蔵さまには失礼にあたるかもなので、そのようには言わないようにしています。
(既にそういう扱いをしているじゃないか、とお叱りを受けそうですが、ちゃんとお花とお水のお供えを欠かさないように気を付けます)

2.「蔵王新四国八十八カ所霊場」というパワースポットにあやかって…
「蔵王」という地名は、以前は「市村」という地名で「市村新四国八十八カ所霊場」としてお地蔵さまがあちこちに祭られた、いわば「パワースポット」なのです。
かつて、疫病が流行った時代に、四国の八十八カ所霊場を廻らなくても、病気平癒などの効果をもたらして頂けるということで「市村」という今の蔵王町の中に88カ所もお地蔵様を奉ったんだとか。(1797年、寛政9年という記録があるようです。)
現在は、長年の開発などの地形の変化で、設置当初と異なる場所や、数番をまとめてあったりするようですが、今でも、誰かがお水やお花を祀っています。

こちらのサイトには詳しくお地蔵様の札処が掲載されていますが、うーん、全部お参りするのは、少々大変そうです。
今では、写真のようにお地蔵様のすぐ後ろに普通の民家が建ったりして、パワースポット感の感じられないような場所も増えてきましたが…
そもそも、子供のころは、お地蔵さまがいくつか近所にあっても、そんなの普通の事だろうと思っていて、八十八カ所もあるとか、そんな歴史があったなんて。
子どものころは、インターネットもないし、ご近所の誰もそんなことを教えてくれる人もいなかったので、こんな歴史があるパワースポットだったなんて、ずーっと知りませんでした。
四国に行かずに済まそうというのも、少々、安易すぎる気もしますが、長い間、蔵王町の住民を見守ってくれていたんですね。
ありがとうお地蔵様!!

3.「八十八カ所霊場」って実は珍しくはない!?
最後に、「八十八カ所霊場」というのが気になったので調べてみました。
何となく予想はしてましたが、予想通りというか、四国の本物以外に、日本全国に「新」とかの名称がついたミニ八十八カ所霊場が数多くあるんですね。
ネット情報などをもとに、以下にまとめてみました。(間違ってる部分有ったらゴメンナサイ)
日本全国に広がる「八十八ヶ所霊場」とお地蔵さまの関係
■ 八十八ヶ所霊場とは
「八十八ヶ所霊場」とは、弘法大師・空海(774–835)にゆかりのある寺院を巡る伝統的な巡礼です。
特に有名なのが、四国全域にまたがる「四国八十八ヶ所霊場」であり、平安時代末期から室町時代(13世紀末〜14世紀)にかけて巡礼路が整えられたと考えられています。
この巡礼は、江戸時代に入ると庶民の間にも広まりました。
徒歩で約1,400kmを巡る四国遍路は、信仰と修行を兼ねた一生の大事業とされ、今日でも多くの巡礼者を惹きつけています。
■ 江戸時代に全国へ広がった「八十八ヶ所」
江戸時代、五街道など交通網の整備が進み、巡礼文化が庶民にも定着したようです。
寺請制度により、幕府は仏教信仰を奨励し、巡礼が「正しい信仰行為」とされる社会的背景もあったと考えられます。
しかし四国遍路は遠く険しいため、各地で「写し霊場」「新四国」などと呼ばれるミニ八十八ヶ所霊場が数多く設けられました。
これにより、四国に行かずとも地元で巡礼ができるようになったのです。(蔵王のもこれですね。)
現在、全国には大小合わせて、300箇所以上※の八十八ヶ所霊場が存在すると推定されています。
※全国の八十八ヶ所霊場の正確な数については公式統計が存在せず推定値に幅(300〜500カ所程度)があるようです。
■ 「八十八ヶ所霊場」とお地蔵さま
本家・四国八十八ヶ所では、札所ごとに本尊が異なり、薬師如来、十一面観音、大日如来、不動明王など多様な仏が祀られています。お地蔵さま(地蔵菩薩)が本尊である札所は一部に限られるそうです。
しかし、江戸時代以降に成立した各地の写し霊場では、八十八体のお地蔵さまを並べる形式が主流となったようです。
これには次の理由があります。
・庶民信仰との親和性:
地蔵菩薩は道ばたや村の辻に祀られ、旅人の安全を守る仏として親しまれていました。
・地蔵菩薩の教え:
地蔵菩薩は六道すべての衆生を救う存在であり、苦しい旅路を支える象徴となりました。
・設置の容易さ:
小さなお地蔵さまは、大掛かりな仏堂や本尊像を建てるよりも簡易であり、地域の人々でも祀ることができました。
こうして、各地に「お地蔵さまの八十八ヶ所」が広まり、身近な巡礼文化として根付いていったということのようです。
■ 現在人気の八十八ヶ所霊場
四国遍路に加え、各地に巡礼者に人気の霊場があります。
・関東八十八ヶ所霊場(東京・埼玉・千葉)
・東海八十八ヶ所霊場(愛知・静岡)
・南無大師遍照金剛/近畿八十八ヶ所霊場(近畿一円)
・南部八十八ヶ所霊場(岩手県)
・江戸八十八ヶ所霊場(東京都内)
いずれも地元文化と結びつきながら、現代の巡礼スタイルに合った形で維持されています(各霊場公式サイト参照)。
■ まとめ
「八十八ヶ所霊場」とは、弘法大師信仰に端を発し、江戸時代に全国へと広がった巡礼文化のようです。
写し霊場では、お地蔵さまを中心としたスタイルが普及し、地域に根ざした巡礼の形が形成されたということです。
今日でも、遍路道を歩く人々や、町角でお地蔵さまに手を合わせる人々に、その信仰と祈りの伝統は脈々と受け継がれているんですね。