1.蔵王山のふもとにある蔵王小学校
蔵王町の名前の由来がわかったのは、2021年に150周年を迎えた蔵王小学校の歴史の資料を目にしたことがきっかけでした。
たぶん、図書館とかのどこかに福山市の歴史の古書とか地図があるのでしょうが、福山市から150周年に関して、蔵王小学校の歴史等もこちらのページに紹介してくれていたので、そういう文献を探しに行かずとも、概ねの歴史や情報をネットから確認できたおかげです。
「蔵王山」の紹介からスタートしたこのブログですが、そんなわけで、蔵王山のふもとにあり、Kiyoからも徒歩3分程度の場所にある「蔵王小学校」についても少しご紹介しておきます。
もちろん、詳しくは、福山市の蔵王小学校の150周年記念の専用サイトに詳細な情報がありますので、ここでは、その中からKiyo的な注目点を抜き出してお伝えします。

2.蔵王小学校の150年の歴史
福山市のpdf資料から抜粋しました。
古昔 :蔵王町内の医王寺、真光寺において村内児童を教養せられる
文政初年(1818):奥屋敷佐藤氏が児童や青年を集め訓陶せられる
明治 4 年正月(1871): 学制が公布される・・・7 歳から就学 10 歳で修了
明治 5 年(1872)5 月:医王寺(4 区)を借りて啓蒙所を設置する(蔵王小学校のはじまり)
啓蒙所とは・・・郷土の偉人窪田次郎が立ち上げた福山独自の教育機関で、誰もが無料で教育を受けることができることを目的に、地域ごとに町村役や豪農商層から資金を集めて設置された。
明治 6 年(1873)8 月:広尾の小畠氏宅(3 区)を借り受けて学校を設置、「広尾小学校」と称する
この時は、小学校を上下二等に分け、満 6 歳から8年間の修学することとなる
明治 11 年(1878)2 月:広尾の土屋氏宅(3 区)に移り「市村・吉田村二カ村小学校」となる
明治 11 年(1878)12 月:岩川(1 区)の村有家屋に移り「岩川小学校」と称する
明治 19 年(1886)4月:小学校令が公布され、小学校が、「尋常小学校・高等小学校」の 2 種類に分かれる
明治 20 年(1887)4月:学区等の改正により「第六尋常小学校」と校名変更する
明治 23 年(1890)10月:「市村尋常小学校」と校名変更する
明治 23 年(1890)11月:字山王の大浜屋敷(4 区)に新校舎竣工(現在の蔵王公民館、蔵王保育所とその西側)
明治 41 年(1908)4 月:「市村尋常高等小学校」を併置
大正元年(1912)10 月:「市村実業補習学校」を併置
大正15年(1926)7 月:「市村青年訓練所(のち市村青年学校)」も併設
昭和 16 年(1941)3 月:市村尋常高等小学校を「市村国民学校」に改称、就業年数は初等科 6 か年、高等科 2 か年(現在の中学 2 年生まで)
昭和 22 年(1947)4月:学校教育法により「市村小学校」を開校(現在の小学校の形)
昭和 31 年(1956)10 月:福山市への合併により「福山市立蔵王小学校」に改称(この年に「市村」が「蔵王町」になっていたから)
昭和 49 年(1974)3 月:現在地(11 区)へ新校舎竣工、4 月 に移転開校、7 月にプールおよび付属施設を竣工、翌年1 月 運動場落成
令和3年(2021年)5月:医王寺の啓蒙所から数えて150年
現在に至る
3.福山市立蔵王小学校に至る名称の変遷
ここから、名称の変遷のみを抜粋すると…
明治 5 年(1872)5 月:医王寺の「啓蒙所」
明治 6 年(1873)8 月:「広尾小学校」
明治 11 年(1878)2 月:「市村・吉田村二カ村小学校」
明治 11 年(1878)12 月:「岩川小学校」
明治 19 年(1886)4月:「尋常小学校・高等小学校」
明治 20 年(1887)4月:「第六尋常小学校」
明治 23 年(1890)10月:「市村尋常小学校」
昭和 16 年(1941)3 月:「市村国民学校」
昭和 22 年(1947)4月:「市村小学校」を開校(現在の小学校の形)
昭和 31 年(1956)10 月:「福山市立蔵王小学校」に改称し、現在に至る
(2025年現在だと153年くらいの歴史です)
つまり、明治5年の医王寺の「啓蒙所」(まあ、寺子屋みたいなものですかねえ)からスタートし、10の名称を持った歴史ある小学校,ということです。
Kiyoからもすぐ近くにある「医王寺」が発祥だったということで、蔵王山も蔵王町も蔵王小学校も医王寺も、歴史でつながってたんですね。蔵王小学校の校舎の移転前は4区の方にあったので医王寺とは少し距離がありましたが、今の場所は、医王寺とも距離も近いです。
150年の歴史を経て、医王寺から、蔵王小学校、そして蔵王山へと、立地的にもつながった位置関係に収まったんですね。
因みに、蔵王の医王寺は、今の場所の前は蔵王山の上にあったらしいですが、戦乱で焼失して現在地に移転、その後、江戸時代にも焼失して建て替えられて今に至っています。
4.日本で最古の庶民教育の歴史とは?
これだけ古い歴史を持った小学校だったというのは、地元民としても少々、誇らしく嬉しいことですが、一方で、「では日本全体で見たらどれだけ古いのかな?」という疑問が生じたので、調べてみました。
結論から言うと、日本最古の歴史のある小学校、ということではありませんでした。
そもそもなぜ150年かといえば、1872年(明治5年)に「学制」が公布、全国に小学校が整備された歴史があり、この学制が公布されてから150年が経ったから、この頃からある多くの小学校が2021年頃に創立150周年を迎えたというわけで、当たり前と言えば当たり前のことだったんですね。
とは言え、医王寺の「啓蒙所」の歴史をさかのぼると、「古昔」とあるように、年代不明のほどの古さになります。
「小学校」ということにこだわらなければ、「庶民教育」という学校で建物が現存する世界最古※とされているのが岡山の「閑谷学校」です。閑谷学校の発症が1651年頃とされているので、さすがにこのレベルの歴史には太刀打ちできません。
しかし、この蔵王の医王寺の歴史もかなり古く、いつ頃から寺子屋のような庶民教育を行っていたのか、その文献などが残っていれば、もしかすると、蔵王小学校の庶民教育としての発祥は、日本最古にも匹敵するかも…そう言ってしまうと、どこもかしこも、そんな歴史はあるでしょうから、結局、建物が現存する「閑谷学校」のような史跡がないと、あまり発祥の歴史を競っても仕方ないことです。
地元民としては、そのような古さの競争はさておき、ご先祖様が、それだけ教育熱心な人たちだったということに想いをはせて、ご先祖様に負けないように、勉学に励みましょう!ということで終わりますが、次回は、ついでに、この蔵王小学校の発祥となった「医王寺」様についても、少しご紹介したいと思います。
※閑谷学校は江戸時代前期の寛文10年(1670)に岡山藩主池田光政によって創建された、「現存する世界最古の庶民のための公立学校」とされており、日本遺産としても登録されています。
医王寺さんが1500年代に消失してなければ、もしかすると、と思いましたが、「公立学校」という縛りもあるので、閑谷学校にはやはり太刀打ちできませんね。