今回は、Kiyoからは徒歩2分の場所にあり、蔵王山や蔵王小学校とも歴史的に深いつながりがあった福山市蔵王町の「医王寺(真言宗)」さんについてご紹介しておきます。
医王寺は現在の場所にある前は、蔵王山の山頂あるいは中腹にあったようですが(諸説あるようです)、1500年代に戦乱で焼失して、今の場所に移設されたとのこと。
ある記事によると、1100年代に崇徳天皇が創設したという伝えもあり、福山の草戸にある明王院の末寺として、蔵王山が阿弥陀ヶ峰と呼ばれていたことから、阿弥陀山医王寺、と呼ばれていたようです。

我が家の菩提寺としても、ずっとお世話になっております。

 【医王寺(福山市蔵王町)】
信仰と教育に関わったと伝えられる歴史ある寺院の概要

福山市蔵王町に位置する医王寺(いおうじ)は、真言宗大覚寺派に属し、地域に深く根ざしてきたとされる寺院です。
蔵王新八十八カ所霊場との関係や、蔵王小学校の創設に関与したと伝えられており、信仰と教育の両面で重要な役割を果たしてきたと考えられています。

■医王寺の位置
 所在地:広島県福山市蔵王町3丁目2-3

■医王寺の名称

寺名「医王」は、病気を癒す仏・薬師如来にちなむとされ、地域の人々の信仰を集めたといわれています。
同じ「医王寺」というお寺は全国にあり、福山でも、鞆の浦にも「医王寺」があるため、ネットで情報を探したりする場合に、少し紛らわしい部分があります。

■年表:医王寺と蔵王町周辺の動き

 年代 :出来事 
 ・大治2年(1127年):蔵王山中腹に崇徳天皇により医王寺が創建されたとされる 
 ・天文3年(1533年): 戦乱により医王寺が焼失したと伝えられる 
 ・戦国末期〜江戸初期:現在地(山麓)に移転・再建されたとみられる 
 ・ 寛永19年(1642年):鐘楼が建立されたとされ、現在も残存 
 ・亨保7年(1722年): 宝篋印塔(ほうきょういんとう)が建立されたと考えられる 
 ・明治5年(1872年):医王寺の一部を利用して「啓蒙所」(蔵王小学校の前身)が開設されたと伝わる 
 ・昭和31年(1956年):福山市立蔵王小学校が正式に設立 

■蔵王新八十八カ所霊場との関わり

医王寺は、蔵王新八十八カ所霊場の札所の一つに数えられているとされています。
この霊場は、四国八十八カ所霊場を模して地域の人々が巡礼できるよう設けられたものと考えられ、信仰だけでなく健康促進や地域文化の活性化にもつながったといわれています。

■蔵王小学校との歴史的関係

明治5年(1872年)、当時の地域有志と寺院の協力により、医王寺の一部を借用して「啓蒙所」という教育施設が開設されたとされています。これが福山市立蔵王小学校の起源と推測され、地域教育の草創期を支えたと伝えられています。

「蔵王小学校の150年超の歴史」の記事

■医王寺が今に伝えるもの

医王寺は、宗教施設でありながら、地域の文化や教育を支える重要な役割を担ってきたと考えられています。
自然に囲まれた静かな境内には、四季折々の風景が広がり、訪れる人々に癒しと学びの場を提供しているとされています。

■重要文化財

医王寺には県指定の重要文化財「絹本著色弘法大師像(けんぽんちゃくしょくこうぼうだいしぞう)」も保存されているそうです。
この大師像は「目引き大師」ともいわれ、大師が常に見守っておられるようなまなざしをした画像で、構図は特に珍しくはないのですが、画幅の右上隅に大師の誓願仏である弥勒菩薩様が描かれている点が珍しいのだそうです。(室町時代の作品)

Kiyoにおいでになられた際には、医王寺の歴史と静謐な佇まいにも触れてみてはいかがでしょうか。

 【参考資料】
– 福山市公式資料
– びんご歴史散歩「医王寺と蔵王八十八カ所」
– noukotsu.co.jp 医王寺紹介ページ
– 各種巡礼ガイドブック
参考サイト:
歴史探訪「蔵王史跡めぐり」(田中洋さん)
備陽史探訪の会「蔵王山周辺の史跡を巡る(福山市蔵王町)」(2003.2.16)

医王寺の裏口側からみた景色。福山東インターチェンジもこの方向にあります。

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